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日本は神の国

2017/07/11
神社におまいりをすると、祭神とされているのは『古事記』や『日本書紀』に登場する神々であることが多いですが、実はその多くは明治になって定められたものです。単にその土地の山や水の神さまとされていたものが、『古事記』や『日本書紀』に登場する○○命とされたりしました。

明治以前は仏教系の神々も多く、稲荷社はダキニ天をまつっていたのが、神仏分離の際に日本の神をまつるとされました(豊川稲荷のように仏教系に残ったところもあります)。
祇園社も、今はスサノヲをまつっているとされていますが、明治以前は牛頭天王が祭神でした。

日光の東照宮は、家康を薬師如来の化身としてまつったもので、現在は、拝殿や本殿は家康を神としてまつる神社、薬師如来をまつる本地堂は仏教のお寺、陽明門は神社の建物で、その脇にたつ五重塔はお寺の建物、ということになっています。
仏教が伝わる前の日本の神々は、秋田のナマハゲに面影を残すようなもので、仏教が伝わり、旅をして自然のなかで厳しい修行をする僧が現われて、土地土地の信仰に関わるようになっていきました。

日光は勝道上人、箱根は満願禅師が開いたとされています。
平安仏教の開祖である最澄・空海もそのような山林修行者の出身でした。

それまでの神々のまつりを僧が担うようになり、神のために僧が読経をおこなうことが、明治維新の際の神仏分離まで、日本の一般的な信仰のあり方となりました。
同様にして、死者のまつりにも関わるようになり、こちらは現在も、僧が読経をおこなうことが一般的です。

柳田国男が『先祖の話』で論じているように、伝統的な仏教の考えと祖先の霊が毎年帰ってくるというお盆の行事の説明には食い違いがあり、仏教伝来以前からの死者のまつりを仏教が取り込み、仏教的な説明づけがおこなわれたものと考えられています。
しかし、そうやって神の信仰が仏教に取り込まれていったからといって、神の力が吸収され、消滅していったわけではなく、むしろそれが原動力となって、仏教の理論を借りつつ、様々な文化のジャンルを生み出していきました。それが芸道です。

お茶やお花のようなお稽古事に面影を残すもので、様々な流派があって、そこに弟子入りをして、お免状をもらったりするのは、仏教の学習や伝授のあり方に倣ったものです。

日本思想史の研究者の多くは、「神道」というものも、そのようにして神仏習合の中から生まれてきたもの、と考えています。
当時は、学問も、そのような芸道のひとつとしておこなわれていました。学問の家というものがあり、そこに弟子入りをして、解釈を習い、お免状をもらうと、秘密の解釈も教えてもらえる、それが当時の学問でした。

そのようにして『日本書紀』や『伊勢物語』、『古今和歌集』の解釈がおこなわれ、たとえば、イザナキ・イザナミが泥海を矛でかき混ぜ、その滴りが日本列島になったという物語に、その矛は密教の法具の独鈷であり、それゆえ日本列島は独鈷の形をしている、という註釈がなされました。
かき混ぜた海の底には「大日(如来)の印文」があり、大日本国という国名の由来になった、等。

そうやって形成されていったのが、仏教色の濃い、(学者のいう)中世神道で、仏教色の濃い神道が先に成立し、仏教色のない神道は、後にそこから仏教色を除くことによって成立したものです。

戦前、日本は神の国であると宣伝され、神風が吹くことが宣伝されていました(今の政治家にも「日本は神の国」であると主張する方がいます)。
 神国思想を説いたのは南北朝期の北畠親房『神皇正統記』ですが、その冒頭は、かつて人々は空を飛ぶことができたのが、食べ物を摂ることによって欲望が生じ、粗く重くなって光を失い、飛べなくなった、という物語からはじまります。これは『倶舎論』で説かれているものです。

仏教では、究極的には始めも終わりもありませんが、「私」という意識においては、始まりも終わりもあります。仏教の教えの中には、ヒンドゥー教の天地開闢神話などが取り入れられています(五輪塔を逆さにしたのが、生成された世界の姿です。空間のなかに風が生まれ、その上に水を保持し、熱せられて、水の上に(沸かしたミルクの皮膜のように)土ができます)。
そういったものを借りながら形成されたのが、中世の神道です。

当時の神道は仏教色の強いもので、「日本は神の国」というのは、仏教色を取り去った純日本の神々の国というのではなく、日本は仏教の本場であるインド(中央=マガダ国)を遠く離れてはいるが、神々に守られた、仏教の盛んな国である、という意味です。

 蒙古襲来(モンゴル民族が打ち立てた元と、当時今の北朝鮮にあった高句麗の連合軍が船団で九州に攻めてきた)の際に神風が吹いて、連合軍を撃退した、という話は有名ですが、『八幡愚童記』(八幡愚童訓(甲本)の名前で日本思想大系『寺社縁起』に収録されています)によると、次のようなことです。

京都の南の石清水八幡宮で叡尊が密教の仏である愛染明王の呪法をおこなったところ、愛染明王が手に持つ矢が光となって西の方角に飛び去り、後日、ちょうどその時間に暴風雨が吹き荒れて、敵国の船団は撃退された。

八幡(八幡「大菩薩」!)は日本の国を守る神で、殺生の罪を免れるために、神の願いによって放生(殺生の罪をつぐなうため、殺されそうになっている生き物を買い取り、放してあげる。他の仏教国では今も盛ん)がおこなわれ、僧による大般若経の転読がおこなわれていました。それが明治の神仏分離以前の八幡宮の姿です。

 明治にはいり、八幡宮にあった仏教関係のお堂や塔は取り壊され、僧は還俗して神職となりました。大般若経の転読もおこなわれなくなりました。神風は・・・吹きませんでした。
 
(2017年7月1日の慈母会館の勉強会より。参考・吉村均『神と仏の倫理思想〔改訂版〕』北樹出版)

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