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ケンツェ・ノルブ監督の最新作『ヘマヘマ』(ネタバレあり)

2017/04/04
 チベット仏教の高僧でもあるケンツェ・ノルブ監督(ゾンサル・ケンツェ・リンポチェ)の最新作『ヘマヘマ:待っている時に歌を HEMA HEMA: SING ME A SONG WHILE I WAIT』が大阪アジアン映画祭で上映されました(以下、ネタバレあり)。
ヘマヘマポスター

男は、仮面をつけ、誰であるか、性別など、一切を隠して加わる十二年に一度の秘密の祭りに参加するが、そこで、ある事件を起こしてしまう。二十四年後、再び祭りに参加した男は・・・

映画上映後、ゲストのプロデューサーのトークがあり、発想のもとが、インターネットのチャットでのハンドルネームでのやりとりで、現代社会では仮面をつけることで、はじめて自分を出すことができる、しかしそこでは怒りや欲望の噴出もおこる、という興味深いお話しがありました。

タイトルのHEMA HEMAは、昔々、という意味の言葉だそうです。副題のWHILE I WAITは、仏教の死と再生の間の時間、中有(バルド)のことだそうです。チベットには、中有にある死者の意識に説き聞かせる『チベットの死者の書』があり、この映画でも重要な意味を持っています。チベット仏教本来の意味でも、私たちの生から死までもひとつのバルドなのですが、映画では、死者がアイデンティティを失って彷徨い、ふたたび新しい生のアイデンティを獲得するまでを、アイデンティティを喪失した現代社会に重ねているようでした。この映画は、ブータンで撮影されたにも関わらず、ブータンでの上映を禁止されてしまったそうですが、ブータンの若い人たちにこそ見てもらいたい、と思いました。
ヘマヘマ

ブータン政府は伝統を維持する政策をとっていますが、まったく形を変えずに暮らしを続けることは不可能です。しかし、伝統を捨てたからといって、すべてから解放され、自由になるわけではありません。仏教の信仰を捨てることはできますが、信仰しないからといって、免れることができないものもあります。

 どこか日本の風景に似た、ブータンの自然とまつり、深く考えさせる内容、とても魅力的な映画でした。

 ゾンサル・ケンツェ・リンポチェは、仏教の叡智を後世に伝えるため、チベット大蔵経をすべて英語などに翻訳し、完成したものをインターネットでつないで世界同時に唱えるというGlobal Resoundingの試みもなさっています。

 映画でも、なにが変わるもので、なにが変わらないものか、がもっとも重要なテーマであるように感じられました。
 映画の冒頭と終わりには、ブータンの首都ティンプーで撮影されたという、ディスコのシーンが登場します。
 映画では、最初の秘密のまつりでは、伝統的なチャム(僧侶による宗教舞踊)の仮面などを使って、『死者の書』の内容が演じられていましたが、二十四年後、再び訪れた際には、仮面はタイガーマスクのような覆面に、舞踊はトランスに変わっていました。自然のなか、秘密のまつりに参加する際、いきなり携帯が鳴ってしまう、というシーンは、笑えると同時に、伝統が失われ、変質していくことの象徴です。

 それは残念なことではありますが、他ならぬ仏教が、無常、すべてのものは移り変わることを説く教えでもあります。いつか仏教の教え自体も、この世から失われる日が来る―それが末法の教えです。

 しかし、仏教の教えが失われたとしても、変わらず残りつづけるものがあります。それは、業(カルマ)と因果です。
 私には、映画はそのことを観客に示し、考えさせるものであるように感じられました。

 上映前、時間があったので、前から一度見たかった、奈良時代に行基によって作られたという土塔を訪れました。
土塔1

 行基は人々ために橋を架け、港をつくり、聖武天皇の大仏造営にも協力した高僧で、文殊菩薩の化身として信仰されていました。
土塔2

十三重の土段が築かれ、瓦で覆われており、現在は創建当初の姿に復元されています。行基は単に旅人の便宜のために橋や港を作っただけでなく、そこを拠点として仏教の教えが説かれました。その際、旅する人たちが耳にした新しい教えが、因果応報でした(『日本霊異記』)。

 土地の神々に祈っていた人が、生まれ故郷を遠く離れ、旅に出る。自分を守ってくれる存在を見失い、不安のなかにある人々が耳にした新しい教え、それが因果の法則でした。そうやって、仏教は日本に根を下ろしました。

 今、過疎や少子化で、日本の仏教のあり方も大きく変わりつつあります。その時、何をあきらめ、何を残すべきか、今回の大阪行きは、そのことを深く考えさせられる、よい機会になりました。
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