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ラムキェン・ギャルポ・リンポチェの伝記

2013/04/18
ディクン・ラムキェン・ギャルポ・リンポチェ
クンチョク・テンジン・シャルリン・ミギュル・リンチェン・ドルジェ・ナムギャル、ラムキェン・ギャルポ・リンポチェ

0267-ko32s.jpg チベットの文化では、家族の結びつきはきわめて重要で、ほとんど、あるいは全く教育を受けていないチベット人でも、何世代裳遡って親戚の名前を言うことができます。その人がトゥルクであれば、家系のより注意深い記録がおこなわれます。トゥルクは、一切衆生に仏法の加持をもたらすために、意図的に生まれ変わってくる人間と考えられています。ですから、ギャルポ・リンポチェの家系を何世紀も遡ることができることは、驚くべきことではありません。しかしそのような広範囲の説明はここでの必要性を超えているため、私たちは、ギャルポ・リンポチェの伝記を、一般にラマ・プルガとして知られている前の化身、チョクトゥル・ティンレー・ギャツォ(1883~1938)の生涯から始めることにします。

チベットのカム地方にいらっしゃったラマ・プルガは、彼を知るすべて人々から愛され、尊敬されていました。彼は仏法に対する彼の完全な献身によって有名でした。彼はディクン・カギュー派にとても献身の念を抱かれていたため、その生涯の間に三度の異なる機会に、ガルチェン・リンポチェの前世の生まれ変わりであるガルチェン・ティンレー・ヨンキャプに、すべての世俗的な所有物を捧げられました。ラマ・プルガは医師として人々からひっぱりだこで、また、人の過去・現在・未来の生を見通す能力で知られていました。
ラマ・プルガが亡くなった時、彼の生まれ変わりの探索は、34世ディクン・キャプグン、・ロドゥー猊下に候補者名の提出することから本格的に始まりました。瞑想の後、猊下はラマ・プルガの新しいトゥルクは、名前がチベット文字の「ダ」という文字を名前に含んでいる父親と、「ユン」の文字を名前に含んでいる母親から生まれるだろうと、お答えになりました。侍者が猊下により明確にとお願いしたところ、両親の生年と星座、および新しいトゥルクの生年を書き留められました。
ラマ・プルガの生まれ変わりを見つけることを助けるため、16世カルマパ猊下も、正しい少年を指し示すビジョンを求めて瞑想にはいられました。瞑想の結果、トゥルクは土の卯の年にタシ・ユンデンという名前の母親から生まれるだろうという、予言的なヴィジョンがもたらされました。
タイ・シトゥ・ペマ・ワンチェン閣下も、その時に瞑想されて、ギャルポ・リンポチェの父親である、ドン王国の支配者であるベフ・ティギャルに、彼の長男が仏法を教えることによって衆生を助けることになるだろうというメッセージを、届けられました。彼には長男(ギャルポ・リンポチェ)が自分の後を継いで、ドン王国における世俗的な責任を果たして欲しいという計画があったため、そのニュースは歓迎されませんでした。しかしベフ・ティギャルがどれほど不同意しても、あらゆるしるしはギャルポ・リンポチェを、ラマ・プルガの真の生まれ変わりとして指し示していました。
あらゆる予言の考慮と、ベフ・ディギャルの僧院に彼の息子を差し出す消極的な同意の後に、ギャルポ・リンポチェはチョクトゥル・ティンレー・ギャツォ、故ラマ・プルガの新しい生まれ変わりとして承認されました。リンポチェはカム地方のロ・ルンカル・ゴン僧院で即位され、トゥルク・クンチョク・テンジン・シャルリン・ミギュル・ドルジェ・ナムギャルという法名が与えられました。
若きトゥルクとして、ギャルポ・リンポチェは、チベットに教えが開花した時代のうちに仏法の事業を身に着ける加持を受けられました。そのようにして、リンポチェはあらゆるチベット仏教の系譜の偉大な師たちから、伝授と灌頂を受けることができました。伝授と灌頂の一例を挙げると、カギェー、ゴンドゥ、キラヤの宝の教えと灌頂を受けられました。リンポチェは、ドゥプワン・ドゥポン・ゲジュン・リンポチェ、ロ・ボントゥル・クンチョク・テンジン・ドドゥル、ディテル・ウーセル・ドルジェ、チョクトゥル・トゥプテン・ニンポ、オントゥル・チューイン・ランドゥルといった悟られた師たちからも、あらゆる教えを受けられました。
世代から世代へと、師から弟子に受け継がれる、テキストの直接の解説と口頭の教えは、伝授として知られています。多くの修行者が教えと灌頂を受けることができますが、選ばれた数少ない者だけが師から伝授を受けるに値すると考えられています。
そこにはいくつかの異なる種類の伝授があります。すなわち、カマの伝授―師から弟子に教えが受け継がれていく遠伝。象徴の伝授―持明者間の伝授。口頭伝授―テキストを完全に口頭で唱えることによる、テキストの起源の時からの途絶えることない連鎖。
テルマの伝授と呼ばれる、付加的な伝授もあります。テルマとは、発掘された「宝」の教えで、書かれてか未来の世代の利益のために意図的に隠された教えである。それを用いる適切な時に、それらは隠された場所からテルトン―それらの貴い隠された教え回復するカルマの修行者によって発掘され、回復されます。
師たちとのリトリートの間に、ギャルポ・リンポチェは、広大な教えと直接の経験的な洞察を組み合わせた、これらすべてのタイプの伝授を受けられました。
ギャルポ・リンポチェがこれらの加持を受けられた師と系譜のリストは、多岐にわたっています。有名なディクン・カギューの教えの師であるゲロン・パチュン・リンポチェと、ドゥワン・キュンガ・リンポチェから、リンポチェは甚深なる経験的洞察の継承を伴うマハームドラーの核心的な教えを受けられました。受けた教えの理解は最初のステップにすぎず、ギャルポ・リンポチェはそれぞれの教えを、最初から究竟次第まで、誤またずに実践されました。そのようにしてリンポチェは、仏陀の加持と教えの完全なる貯蔵庫と、衆生を輪廻の支配から解放する真の乗物となることができたのです。
16世カルマパ猊下からは、マハームドラーの甚深な教えと、3世カルマパであるランジュン・ドルジェ猊下のツィクチクマの実践の両方を受けられました。シトゥ・ペマ・ワンチュク・リンポチェからは、教えと解説と経験的な洞察を組み合わせた、いくつかの灌頂を受けられました。ズィガー・コントゥル・リンポチェからは、ギャルポ・リンポチェは、口頭の解説とすべての本尊についての経験的な洞察の継承を組み合わせた、リンチェン・テルズーの教えと灌頂を受けられました。
バロム・カギュー派のリパ・セルジェー・リンポチェから、ギャルポ・リンポチェはチベット仏教バロム・カギュー派特有の灌頂と教えを受けられました。ニンマ派の系譜からは、ディルゴ・キェンツェ・リンポチェを含む師から、リンポチェは、なかでもゾクチェン・ニンティク・ヤプシに特別な重点を置いて、すべてのニンマ派タントラと成就法の一般的な伝授と洞察を受ける加持を得ました。ゾクチェン・ニンティクは、偉大なるゾクチェン・ケンポ・ニョシュル・ルントクの系譜の聖なる宝物の体系です。ニョシュル・リンポチェは、偉大なるパトゥル・リンポチェのもっとも悟った弟子と考えられています。ニョシュル・リンポチェが72歳で亡くなられた時、頭上に虹がかかり、悟りを得た師が亡くなられたしるしと考えられている他の多くのしるしが生じました。
悟った師であるポリ・ケンチェン・ドルジェチャン、ニョシュル・ケンポ・ジャンパ・ドルジェ、そしてケンポ・トウテン・リンポチェから、ギャルポ・リンポチェは様々な側面のゾクチェンの灌頂、教え、そして直接の口頭の核心の導きを受けられました。直接の口頭の核心の導きとは、悟った師から弟子への直接の教えで、四つの体系―外・内・秘密・最も秘密の体系に分かれます。リンポチェの学習は最も秘密の体系の最も心髄と考えられている、レンテン・ニンティクの教えに焦点を当てたものでした。
ドゥクパ・カギュー派の前の管長であるギャルワン・ドゥクパ・タムチェーケンパ、そしてヨギ・リクズィンから、ギャルポ・リンポチェはマハームドラーとゾクチェンの心髄の完全なる導きを受けられました。リンポチェは特にドーハを重視した、ドゥクパの心髄の教えも受けられました。ドーハとは、通常、詩や歌の形で与えられる、神秘的な教えです。それには直接的な覚醒の智慧のような甚深なる教えが含まれています。
ジグデル・キェンツェ・リンポチェから、ギャルポ・リンポチェは、パグモ・ドゥクパの問いに対するガンポパの回答についての教えを受けられました。
タクルン・シャプドゥン・リンポチェとマトゥル・リンポチェから、ギャルポ・リンポチェはチャクラサンヴァラ・カンド・ギャツォと他のタクルン・カギュー派の教えの体系を受けられました。
サキャ・ドルマ・ポダン、サキャ・プンツォク・ポダン猊下たち、ルディン・リンポチェ、チョゲー・ティチェン・リンポチェから、ギャルポ・リンポチェは特にヘーヴァジュラ、ヴァジュラ・ヴァラヒとヴァジュラ・バイラヴァのサキャ派の灌頂と教えを受けるという加持を得られました。
すべての仏教修行者にとって命綱と考えられている根本ラマ、クヌ・リンポチェ・テンズィン・ギャルツェンから、ギャルポ・リンポチェは特にテクチューとトゥゲルに重点を置いた、マハームドラーとゾクチェンの核心の、清浄で混じり気のない教えを受けられました。
ギャルポ・リンポチェは上記のすべての甚深なる師から教えを受けられ、三大リトリートと本尊を宥めることを含むリトリートと宥めに力点を置いて、そのすべてを前行から生起・究竟次第まで行じられました。
 チベットから脱出した後は、ギャルポ・リンポチェはチベット亡命政府のために11年間、内閣の主席秘書と、後にはインド・シムラのチベット自助手工芸センターのエグゼクティブマネージャーとして務められました。11年の務めが終わる時に、ギャルポ・リンポチェはディクン・キャプグン・リンポチェ猊下に、インドのデラドゥンにある、ディクン・カギューの総本山であるチャンチュプリンに入りたいとお願いしました。猊下に対する止まるところのない献身とできることならなんでもディクン・カギューのために務めたいという願いから、ギャルポ・リンポチェはチベット政府にお仕えすることを辞してデラドゥンに行かれました。
ディクン・キャプグン・リンポチェに対して、ギャルポ・リンポチェは個人秘書と、ディクン・カギュー・インスティテュート(チャンチュプリン)が設立されて登記されたときには、その事務総長を務められました。リンポチェは僧院を建設をはじめるための資金を得て、亡命先におけるディクン・カギューの伝統の総本山の建設の様々な段階を通じて貢献されました。
ディクン・カギューの修行者と僧侶に手を差し伸べる効果のあがった努力において、ギャルポ・リンポチェは東チベットからカイラス山までのすべてのディクンの僧院を回られました。リンポチェはまた、ディクン・キャプグン・リンポチェ猊下をお助けして、ディクン・カギューの伝統の歴史の記録と編纂をおこなわれました。
他の系譜の求めに応えて、ギャルポ・リンポチェはインド・シムラにニンマ派の伝統の命綱であるドルジェ・ダク本山を建設されました。
現在、ギャルポ・リンポチェはディクンの僧院の再建の実現、チベットの遊牧民の子供のための学校の設立、カム地方における近代的な病院と地域保険プログラムの設立のために、ご自身の健康や快適さに考慮されることなく、休まず働かれています。リンポチェはアメリカにいくつかの活動する仏法センターをお持ちで、その中心はニュージャージーのデンヴィルにあるものです。リンポチェは台湾にも活動する仏法センターをお持ちです。仏法の活動が多岐にわたっているため、リンポチェはほとんどのお時間を、ご自身の多くのセンターを訪れることに費やされ、弟子が仏陀、ディクン・カギューの教えをよりよく理解し、それを彼ら自身と周囲の人々の日々の生活の質を向上することにいかに適用するかについて、育成、指導されています。純粋なラマを見いだすことは困難であり、弟子の一人一人は彼らが自分の手に宝石があることに気づき、常にリンポチェのご健康とあらゆる仏法の事業の継続を祈っています。

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20:32 ラムキェン・ギャルポ R | コメント(0) | トラックバック(0)
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