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伝統仏教から見た『般若心経』

2013/04/21
『般若心経』は日本でもっともポピュラーな経典で、沢山の解説書がでています。読みものとしては興味深いかもしれませんが、それらの多くは、仏教僧によるものであったとしても、その人個人の考えを書いたものがほとんどです。

【インド・チベットの伝統における『般若心経』】

 チベットでも『般若心経』の読誦は盛んで、チベット大蔵経には、インド仏教における『般若心経』の註釈書がいくつかチベット語訳され、収録されています(渡辺章悟『般若心経』を参照)。実は『般若心経』には大小二種類が存在し、チベット大蔵経に収録されているインド仏教の註釈書は、いずれも大本に対してのものです。サンスクリットや漢訳にも大小二種が存在し、私たちのよく知っている「観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空…」ではじまるのは、小本の方です(『般若心経・金剛般若経』岩波文庫)。大本は、通常のお経と同じく「如是我聞」ではじまるもので、小本の内容の前後に状況説明がついています。私たちのよく知る小本では、観自在菩薩(観音)と舎利子(シャーリプトラ=シャーリの息子、の意。釈尊の高弟。舎利弗とも)が登場しますが、大本を見なければ、二人がどのような関係にあるかわかりませんし、釈尊も登場しません。これらがわかるのが、大本です。
 大本によれば、釈尊は霊鷲山(『般若経』や『法華経』が説かれた山)で瞑想中で、その境地を観音さまが理解し、シャーリプトラの問いに答える形で、釈尊の悟りの境地、智慧の完成(般若波羅蜜)がいかなるものであるかが解説されます。『般若心経』は、釈尊の悟りの境地を観音さまがシャーリプトラに解説している経典です。

【諸法を説く阿含経典と、それを空、無と説く『般若心経』】
 仏教の流れには大きく分けて、中国、日本やチベットなどに伝わるいわゆる大乗(北伝仏教)と、東南アジアに伝わるテーラワーダ(上座部)(南伝仏教)があります。前者は阿含経典と大乗経典の両方を仏典として認めますが、後者は阿含経典のみに基づき、大乗経典は経典と認めていません。『般若心経』は大乗経典で、内容的におかしい、と批判される方もいらっしゃいます。それには無理からぬところがあります。『般若心経』で空である、無であるとされているのは、阿含経典で釈尊が重要な教えとして説かれているもの―諸法だからです。

【一切法=五蘊、十二処、十八界が空】
 有名な「色即是空、空即是色」は、観音さまが理解したという釈尊の瞑想の境地、「五蘊皆空」のうち、色蘊が空であることを詳しく説いたものです。残りの四つ(受・想・行・識)も同様である(「受想行識、亦復如是」)と続きます。続く、諸法の空の面(「諸法空相」)においては「無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法」というのは、感覚とその対象である十二処が空であることを説いています。その次の「無眼界乃至無意識界」は、感覚をさらに感覚とそこでの心の働きに分け、三×六=十八、十八界が空であることを説いています。
この、五蘊、十二処、十八界は、一切法と呼ばれ、それぞれが、外の世界のことであれ、心の中のことであれ、現象の何を取り上げても、必ずそのどこかに入るカテゴリーです。阿含経典で、釈尊は、主に出家の弟子たちに、あなたたちがあると信じて疑っていない「私」はどこにあるか、五蘊、十二処、十八界を調べてみなさい。と説かれています。そうやって自分で探してみて、どこにも「私」を見つけだすことができないことが分かった時、それが悟りです。

【十二支縁起・四聖諦が空】
 次の「無無明亦無無明尽、乃至、無老死亦無老死尽。無苦・集・滅・道」は、十二支縁起と四聖諦が空であることを説いています。
 四聖諦は、仏陀となった釈尊が最初に説いた(初転法輪)とされる教えで、苦しみ(「苦」)とその原因(「集」)、苦しみを滅した境地(「滅」)とそこに至る実践(「道」)の四つの真理です。苦しみの原因がわかれば、それを取り除くことによって苦しみから解放されることができる、四聖諦は、苦しみとその原因、苦しみの解放とその原因の、二つの結果‐原因の関係からなりたっています。
 それを十二の段階で瞑想するのが、十二支縁起です。私たちが輪廻の苦しみの中にある理由を遡っていくと、「無明」が真の原因であり、無明があれば行があり…と、無明~行~識~名色~六処~触~受~愛~取~有~生~老死の十二の段階で瞑想していきます。原因が分かればそれを除けば苦しみから解放されますから、それも十二の段階で無明尽~…老死尽と瞑想していきます。『般若心経』は、それすらも空だと説くのです。

【遠離一切顛倒夢想―空の理解と苦しみからの解放】
 さらに続きます。「無智亦無得」、『般若心経』の「般若」というのはインドのプラージュニャー、智慧という言葉に漢字をあてたものですが、それすらもなく、悟りを得るといいますが、得るということすらない、と言います。それが「般若波羅蜜」、智慧の完成で、過去の仏陀も現在の仏陀も、未来の仏陀も、このような智慧の完成によって仏陀の境地に至るのだ、というのです。
 これは何を意味しているのでしょうか。「以無所得故、菩提薩捶、依般若波羅蜜故、心無罣礙、心無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃」、得ることがないという智慧の完成によって、心に妨げがなく、妨げがない故に恐怖がなく、永遠にあらゆる逆さまの夢のような捉え方から離れている、それが涅槃だ、と経典は説いています。私たちは自分の視点から物事を捉えていますから、その私の観点からは、悟りはあり、得るという行為もあります。しかしもし悟りが本当にそのような得られるものであるならば、その悟りは失われるかもしれませんし、他から奪われないよう、傷つけられないよう、守る必要もでてくるでしょう。そのような思いからの解放こそが、苦しみから完全に解放された仏陀の境地だ、経典はそのように説いているのです。

【阿含経典の筏の喩え】
 忘れてはならないのは、これらは釈尊が弟子に説いた教えではなく、瞑想中の釈尊の境地を観自在菩薩が理解して舎利子に説明しているものだ、ということです。阿含経典は釈尊が苦しみからの解放のために弟子に説いた教えで、それに対して『般若心経』は、苦しみから解放された境地を描いた経典なのです。
 教えが手段であって、捨て去られるべきものであることは、阿含経典の中でも、筏の喩えで説かれています。釈尊は、自分は筏で向こう岸(悟りの比喩。「彼岸」の語源)に渡り終え、もう筏は必要なくなった、と説かれています(『スッタ・ニパータ』)。また別の機会には釈尊は、向こう岸に渡り終えた人が筏を担いでいったらどうだろう、と非法を捨てるべきことはもちろん、法も捨て去られるべきものであることを説かれています(中部『蛇喩経』)。
 このように、阿含経典と『般若心経』の内容は、矛盾・対立するものではなく、苦しみからの解放の手段と、その結果の関係にあるものなのです。

【般若波羅蜜多呪と大本における締め括り】
 このような苦しみからの解放の境地は、苦しみにある私たちには本当の意味では理解できません。また、言葉は、苦しみの真の原因である間違った捉え方、私が世界を対象的に捉える、そのための道具ですから、言葉で言い表わすことも、本当はできません。そのため経典では、次にこの智慧の完成の内容が、呪(陀羅尼)の形で説かれます。
「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」
 『般若心経』小本はそこで終わりますが、大本は、その後に締め括りの内容がもう少し続きます。大本では、釈尊が瞑想を終えられ、「その通りである」と観音さまの説明を承認し、集まっていた人々や神々が皆喜んだ、と説かれて終わります。
 聴衆の歓喜で終わることも経典の定型ですが、見逃してはならないのが、瞑想中だったはずの釈尊が、観自在菩薩と舎利子の会話をすべて知っているということです。
 私たちだったら、自分の噂を二人がしていて、それが気になって集中して瞑想できなかった、ということになるかもしれません。しかしそれでは苦しみから解放された境地とはいえません。修行においては、瞑想中に空を体験すると、瞑想を終えて感覚が再び対象を捉えるようになっても、(本物だと思って怯えていた映画やテレビのお化けや怪獣が作りものだとわかってしまったようなもので)実体としては映らなくなる、と言われています。そうやって瞑想中と瞑想後を繰り返していくのが修行の段階です。しかし修行が完成した仏陀においては、この二つが交互ではなく、空を体験している瞑想の境地にありながら、同時に世界も捉えることができる、と伝統仏教学では説明されています。大本の締め括りは、そのことを示しているのです。

【大乗経典の真偽についての伝統的説明】
 釈尊は著作を書き遺さず、さまざまな弟子にその素質や理解の度合いに合わせて異なる教えを説かれた(対機説法)といわれます。阿含経典は、釈尊が般涅槃された後、教えを受けた弟子が集まって編纂されたものだというのが、伝統的な説明です。
 大乗経典は、その阿含経典には含まれない、後の時代になって登場したものですから、古代のインドでも、認めるか認めないかで議論がありました。
 内容的に仏陀の教えと認められるべきことを論じたのが、古代インドのナーガールジュナ(龍樹)です。また、教えを受けた弟子が編纂した阿含経典に含まれていなかったということについては、インド・チベットの伝統では、次のように説明しています。大乗経典は高度な内容だったため、最初人間世界に伝わらず、菩薩たちや神々や龍の世界に伝えられ、後に人間世界にもたらされたのだ、と。
 『般若心経』においては舎利子が観自在菩薩と会話しています。シャーリプトラは煩悩を滅した阿羅漢の境地にありますから、観音さまの姿は見えるでしょうが、普通の人は観音さまの姿を見ることはできません。もし霊鷲山で『般若心経』に説かれているようなことが実際にあったとしても、普通の人が見ても、お釈迦さまは瞑想中で、舎利子は誰からから何か聞いているようだが、その相手も目にすることができず、話す内容も聞こえないでしょう。それゆえ人間世界には伝わらず(シャーリプトラは釈尊よりも前に入滅しています)、後の時代になってから出現したのだ、それが伝統的な説明です。
(吉村均)

(2012年9月22日、ナマステインディア2012における講演要旨。原題「インド仏教における『般若心経』」)

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般若心経和訳テキスト

2013/04/20
般若心経
思考することも言葉にすることもできない般若波羅蜜 不生不滅の虚空の本体そのもの
各々の自内証の行境 三世(過去・現在・未来)の勝者(仏陀)の母に礼拝します

インド語(サンスクリット)で バガワティ・プラジュニャー・パラミタ・フリーダヤ
チベット語で 仏母般若波羅蜜心(経)

仏母般若波羅蜜に礼拝します

私は次のように聞いた(如是我聞)、ある時(一時)、
世尊は王舎城の霊鷲山に、比丘の大僧伽と、
菩薩の大僧伽と、共にいらっしゃった。
その時、世尊は甚深なるあらわれという法門の三昧に入られていた。
またその時、聖観自在菩薩摩訶薩は、
般若波羅蜜の甚深行をご覧になって、
五蘊、それもまた自性が空であるとご覧になった。
そして仏力によって、長老舎利子は、
聖観自在菩薩摩訶薩にこのようにおっしゃった。
善男子(なんし)あるいは善女人のある者が、甚深なる般若波羅蜜の甚深行を行じたいと望むならば、どのように実践すべきか。そのように言われて、
聖観自在菩薩摩訶薩は、長老舎利子にこのように言われた。
舎利子よ、善男子あるいは 善女人の
ある者が、般若波羅蜜の甚深行を行じたいと望むなら、このように見るべきであって、
五蘊それもまた自性によって空であると正しく見る。
色(蘊)は空であり、空性は色である。 色より空性は他になく、空性よりまた色は他にない。
同様に、受・想・行と・識なども空である。
舎利子よ、 そのように一切法は空性で、相が無く、生じること無く、滅すること無く、
垢が無く、垢を離れることも無く、減ることも無く、増えることも無い。
舎利子よ、それゆえ空性において色は無く、
受は無く、想は無く、行は無く、識は無く、
眼は無く、耳は無く、鼻は無く、舌は無く、身は無く、意は無く、
色は無く、声は無く、香は無く、味は無く、触は無く、法は無い。
眼界が無いより、意界が無く、意識界に至るまでも無い。
無明が無く、無明が尽きることが無いより、老死が無く、老死が尽きることも無い。同様に、
苦と、集と、滅と、道も無い。智慧も無く、得ることも無く、得ないことも無い。
舎利子よ、それゆえ、諸菩薩は得ることがない故に、
この般若波羅蜜に依り、心に罣礙が無いことによって、恐怖が無く、
顚倒より完全に離れ、涅槃を究竟している。
三世(過去・現在・未来)に住される一切諸仏もまた、この般若波羅蜜に依って、
無上正等覚を現等覚され仏陀となる。
それゆえに、般若波羅蜜多呪(は)、大明呪、無上呪、
無等等呪、一切の苦を完全に鎮める呪、
偽りでなく真実であると知るべきで、般若波羅蜜多呪を説いて、
タヤター・オン・ガテガテ・パーラガテ・パーラサンガテ・ボディ・ソヮーハー
舎利子よ、菩薩摩訶薩はそのように甚深なる般若波羅蜜を実践すべきである。
それから、世尊はその三昧より起きられて、
聖観自在菩薩摩訶薩によきかな(善哉)とおっしゃられて、
よきかな(善哉)、よきかな(善哉)、善男子(よ)、その通りである、その通りであって、
汝が説いたように、般若波羅蜜は行じられるべきで、
善逝達もまた随喜される。世尊がそのようにおっしゃられたので、
長老舎利子と、
聖観自在菩薩摩訶薩と、
周囲の一切の者たちと、神と、人と、阿修羅と、ガンダルヴァなどの世間は喜んで
世尊のお言葉を褒め称えた。

タヤター・オン・ガテガテ・パーラガテ・パーラサンガテ・ボディ・ソヮーハー


除障法
仏陀に礼拝します 法に礼拝します 僧伽に礼拝します
仏母般若波羅蜜に礼拝します
私の真実語が成就しますように。昔、天帝帝釈が仏母般若波羅蜜の甚深なる意味を考え、詩句を諷誦することによって、
障礙をなす魔(他化自在天王)などの不順なるもの一切を払ったように、同様に、
私もまた仏母般若波羅蜜の甚深なる意味を考え、詩句を諷誦することにより、
障礙をなす魔などの不順なるもの一切が、払われますように
無くなりますように、鎮まりますように、完全に鎮まりますように

およそ縁によって生じるものは、滅すること無く、生じること無く、断滅で無く、恒常で無く、来ること無く、行くこと無く、異義でなく、一義でない。
戯論が寂滅されている仏陀である、説者たちの最高のその方に礼拝します。
八万種の障礙を鎮め、 逆縁を離れて、
順縁を成就して円満し、吉祥で今すぐの幸せが得られますように。 

ラムキェン・ギャルポ・リンポチェ『般若心経』講義(於.大本山護国寺大師堂)のために作成


チベット語テキスト(中国語の読みと訳付き)と和訳のPDFファイルは下記よりダウンロードできます。

→薄伽梵母般若波羅蜜心經(PDF)
→心經除障法(pdf)
→般若心経和訳テキスト(ラムキェン・ギャルポ・リンポチェ護国寺講義用)
18:07 経蔵 | コメント(1) | トラックバック(0)

ラムキェン・ギャルポ・リンポチェの伝記

2013/04/18
ディクン・ラムキェン・ギャルポ・リンポチェ
クンチョク・テンジン・シャルリン・ミギュル・リンチェン・ドルジェ・ナムギャル、ラムキェン・ギャルポ・リンポチェ

0267-ko32s.jpg チベットの文化では、家族の結びつきはきわめて重要で、ほとんど、あるいは全く教育を受けていないチベット人でも、何世代裳遡って親戚の名前を言うことができます。その人がトゥルクであれば、家系のより注意深い記録がおこなわれます。トゥルクは、一切衆生に仏法の加持をもたらすために、意図的に生まれ変わってくる人間と考えられています。ですから、ギャルポ・リンポチェの家系を何世紀も遡ることができることは、驚くべきことではありません。しかしそのような広範囲の説明はここでの必要性を超えているため、私たちは、ギャルポ・リンポチェの伝記を、一般にラマ・プルガとして知られている前の化身、チョクトゥル・ティンレー・ギャツォ(1883~1938)の生涯から始めることにします。

チベットのカム地方にいらっしゃったラマ・プルガは、彼を知るすべて人々から愛され、尊敬されていました。彼は仏法に対する彼の完全な献身によって有名でした。彼はディクン・カギュー派にとても献身の念を抱かれていたため、その生涯の間に三度の異なる機会に、ガルチェン・リンポチェの前世の生まれ変わりであるガルチェン・ティンレー・ヨンキャプに、すべての世俗的な所有物を捧げられました。ラマ・プルガは医師として人々からひっぱりだこで、また、人の過去・現在・未来の生を見通す能力で知られていました。
ラマ・プルガが亡くなった時、彼の生まれ変わりの探索は、34世ディクン・キャプグン、・ロドゥー猊下に候補者名の提出することから本格的に始まりました。瞑想の後、猊下はラマ・プルガの新しいトゥルクは、名前がチベット文字の「ダ」という文字を名前に含んでいる父親と、「ユン」の文字を名前に含んでいる母親から生まれるだろうと、お答えになりました。侍者が猊下により明確にとお願いしたところ、両親の生年と星座、および新しいトゥルクの生年を書き留められました。
ラマ・プルガの生まれ変わりを見つけることを助けるため、16世カルマパ猊下も、正しい少年を指し示すビジョンを求めて瞑想にはいられました。瞑想の結果、トゥルクは土の卯の年にタシ・ユンデンという名前の母親から生まれるだろうという、予言的なヴィジョンがもたらされました。
タイ・シトゥ・ペマ・ワンチェン閣下も、その時に瞑想されて、ギャルポ・リンポチェの父親である、ドン王国の支配者であるベフ・ティギャルに、彼の長男が仏法を教えることによって衆生を助けることになるだろうというメッセージを、届けられました。彼には長男(ギャルポ・リンポチェ)が自分の後を継いで、ドン王国における世俗的な責任を果たして欲しいという計画があったため、そのニュースは歓迎されませんでした。しかしベフ・ティギャルがどれほど不同意しても、あらゆるしるしはギャルポ・リンポチェを、ラマ・プルガの真の生まれ変わりとして指し示していました。
あらゆる予言の考慮と、ベフ・ディギャルの僧院に彼の息子を差し出す消極的な同意の後に、ギャルポ・リンポチェはチョクトゥル・ティンレー・ギャツォ、故ラマ・プルガの新しい生まれ変わりとして承認されました。リンポチェはカム地方のロ・ルンカル・ゴン僧院で即位され、トゥルク・クンチョク・テンジン・シャルリン・ミギュル・ドルジェ・ナムギャルという法名が与えられました。
若きトゥルクとして、ギャルポ・リンポチェは、チベットに教えが開花した時代のうちに仏法の事業を身に着ける加持を受けられました。そのようにして、リンポチェはあらゆるチベット仏教の系譜の偉大な師たちから、伝授と灌頂を受けることができました。伝授と灌頂の一例を挙げると、カギェー、ゴンドゥ、キラヤの宝の教えと灌頂を受けられました。リンポチェは、ドゥプワン・ドゥポン・ゲジュン・リンポチェ、ロ・ボントゥル・クンチョク・テンジン・ドドゥル、ディテル・ウーセル・ドルジェ、チョクトゥル・トゥプテン・ニンポ、オントゥル・チューイン・ランドゥルといった悟られた師たちからも、あらゆる教えを受けられました。
世代から世代へと、師から弟子に受け継がれる、テキストの直接の解説と口頭の教えは、伝授として知られています。多くの修行者が教えと灌頂を受けることができますが、選ばれた数少ない者だけが師から伝授を受けるに値すると考えられています。
そこにはいくつかの異なる種類の伝授があります。すなわち、カマの伝授―師から弟子に教えが受け継がれていく遠伝。象徴の伝授―持明者間の伝授。口頭伝授―テキストを完全に口頭で唱えることによる、テキストの起源の時からの途絶えることない連鎖。
テルマの伝授と呼ばれる、付加的な伝授もあります。テルマとは、発掘された「宝」の教えで、書かれてか未来の世代の利益のために意図的に隠された教えである。それを用いる適切な時に、それらは隠された場所からテルトン―それらの貴い隠された教え回復するカルマの修行者によって発掘され、回復されます。
師たちとのリトリートの間に、ギャルポ・リンポチェは、広大な教えと直接の経験的な洞察を組み合わせた、これらすべてのタイプの伝授を受けられました。
ギャルポ・リンポチェがこれらの加持を受けられた師と系譜のリストは、多岐にわたっています。有名なディクン・カギューの教えの師であるゲロン・パチュン・リンポチェと、ドゥワン・キュンガ・リンポチェから、リンポチェは甚深なる経験的洞察の継承を伴うマハームドラーの核心的な教えを受けられました。受けた教えの理解は最初のステップにすぎず、ギャルポ・リンポチェはそれぞれの教えを、最初から究竟次第まで、誤またずに実践されました。そのようにしてリンポチェは、仏陀の加持と教えの完全なる貯蔵庫と、衆生を輪廻の支配から解放する真の乗物となることができたのです。
16世カルマパ猊下からは、マハームドラーの甚深な教えと、3世カルマパであるランジュン・ドルジェ猊下のツィクチクマの実践の両方を受けられました。シトゥ・ペマ・ワンチュク・リンポチェからは、教えと解説と経験的な洞察を組み合わせた、いくつかの灌頂を受けられました。ズィガー・コントゥル・リンポチェからは、ギャルポ・リンポチェは、口頭の解説とすべての本尊についての経験的な洞察の継承を組み合わせた、リンチェン・テルズーの教えと灌頂を受けられました。
バロム・カギュー派のリパ・セルジェー・リンポチェから、ギャルポ・リンポチェはチベット仏教バロム・カギュー派特有の灌頂と教えを受けられました。ニンマ派の系譜からは、ディルゴ・キェンツェ・リンポチェを含む師から、リンポチェは、なかでもゾクチェン・ニンティク・ヤプシに特別な重点を置いて、すべてのニンマ派タントラと成就法の一般的な伝授と洞察を受ける加持を得ました。ゾクチェン・ニンティクは、偉大なるゾクチェン・ケンポ・ニョシュル・ルントクの系譜の聖なる宝物の体系です。ニョシュル・リンポチェは、偉大なるパトゥル・リンポチェのもっとも悟った弟子と考えられています。ニョシュル・リンポチェが72歳で亡くなられた時、頭上に虹がかかり、悟りを得た師が亡くなられたしるしと考えられている他の多くのしるしが生じました。
悟った師であるポリ・ケンチェン・ドルジェチャン、ニョシュル・ケンポ・ジャンパ・ドルジェ、そしてケンポ・トウテン・リンポチェから、ギャルポ・リンポチェは様々な側面のゾクチェンの灌頂、教え、そして直接の口頭の核心の導きを受けられました。直接の口頭の核心の導きとは、悟った師から弟子への直接の教えで、四つの体系―外・内・秘密・最も秘密の体系に分かれます。リンポチェの学習は最も秘密の体系の最も心髄と考えられている、レンテン・ニンティクの教えに焦点を当てたものでした。
ドゥクパ・カギュー派の前の管長であるギャルワン・ドゥクパ・タムチェーケンパ、そしてヨギ・リクズィンから、ギャルポ・リンポチェはマハームドラーとゾクチェンの心髄の完全なる導きを受けられました。リンポチェは特にドーハを重視した、ドゥクパの心髄の教えも受けられました。ドーハとは、通常、詩や歌の形で与えられる、神秘的な教えです。それには直接的な覚醒の智慧のような甚深なる教えが含まれています。
ジグデル・キェンツェ・リンポチェから、ギャルポ・リンポチェは、パグモ・ドゥクパの問いに対するガンポパの回答についての教えを受けられました。
タクルン・シャプドゥン・リンポチェとマトゥル・リンポチェから、ギャルポ・リンポチェはチャクラサンヴァラ・カンド・ギャツォと他のタクルン・カギュー派の教えの体系を受けられました。
サキャ・ドルマ・ポダン、サキャ・プンツォク・ポダン猊下たち、ルディン・リンポチェ、チョゲー・ティチェン・リンポチェから、ギャルポ・リンポチェは特にヘーヴァジュラ、ヴァジュラ・ヴァラヒとヴァジュラ・バイラヴァのサキャ派の灌頂と教えを受けるという加持を得られました。
すべての仏教修行者にとって命綱と考えられている根本ラマ、クヌ・リンポチェ・テンズィン・ギャルツェンから、ギャルポ・リンポチェは特にテクチューとトゥゲルに重点を置いた、マハームドラーとゾクチェンの核心の、清浄で混じり気のない教えを受けられました。
ギャルポ・リンポチェは上記のすべての甚深なる師から教えを受けられ、三大リトリートと本尊を宥めることを含むリトリートと宥めに力点を置いて、そのすべてを前行から生起・究竟次第まで行じられました。
 チベットから脱出した後は、ギャルポ・リンポチェはチベット亡命政府のために11年間、内閣の主席秘書と、後にはインド・シムラのチベット自助手工芸センターのエグゼクティブマネージャーとして務められました。11年の務めが終わる時に、ギャルポ・リンポチェはディクン・キャプグン・リンポチェ猊下に、インドのデラドゥンにある、ディクン・カギューの総本山であるチャンチュプリンに入りたいとお願いしました。猊下に対する止まるところのない献身とできることならなんでもディクン・カギューのために務めたいという願いから、ギャルポ・リンポチェはチベット政府にお仕えすることを辞してデラドゥンに行かれました。
ディクン・キャプグン・リンポチェに対して、ギャルポ・リンポチェは個人秘書と、ディクン・カギュー・インスティテュート(チャンチュプリン)が設立されて登記されたときには、その事務総長を務められました。リンポチェは僧院を建設をはじめるための資金を得て、亡命先におけるディクン・カギューの伝統の総本山の建設の様々な段階を通じて貢献されました。
ディクン・カギューの修行者と僧侶に手を差し伸べる効果のあがった努力において、ギャルポ・リンポチェは東チベットからカイラス山までのすべてのディクンの僧院を回られました。リンポチェはまた、ディクン・キャプグン・リンポチェ猊下をお助けして、ディクン・カギューの伝統の歴史の記録と編纂をおこなわれました。
他の系譜の求めに応えて、ギャルポ・リンポチェはインド・シムラにニンマ派の伝統の命綱であるドルジェ・ダク本山を建設されました。
現在、ギャルポ・リンポチェはディクンの僧院の再建の実現、チベットの遊牧民の子供のための学校の設立、カム地方における近代的な病院と地域保険プログラムの設立のために、ご自身の健康や快適さに考慮されることなく、休まず働かれています。リンポチェはアメリカにいくつかの活動する仏法センターをお持ちで、その中心はニュージャージーのデンヴィルにあるものです。リンポチェは台湾にも活動する仏法センターをお持ちです。仏法の活動が多岐にわたっているため、リンポチェはほとんどのお時間を、ご自身の多くのセンターを訪れることに費やされ、弟子が仏陀、ディクン・カギューの教えをよりよく理解し、それを彼ら自身と周囲の人々の日々の生活の質を向上することにいかに適用するかについて、育成、指導されています。純粋なラマを見いだすことは困難であり、弟子の一人一人は彼らが自分の手に宝石があることに気づき、常にリンポチェのご健康とあらゆる仏法の事業の継続を祈っています。

英語原文は「続きを読む」よりどうぞ↓
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20:32 ラムキェン・ギャルポ R | コメント(0) | トラックバック(0)

現代仏教塾第1回「日本仏教がチベット仏教に学ぶもの」(6/6)

2013/04/15
現代仏教塾第1回「日本仏教がチベット仏教に学ぶもの」(6/6)
講師:吉村 均(中村元東方研究所研究員)
会場:真宗大谷派 高明寺 横浜聖地霊園会館
日時:2012年10月6日(土)
09:00 日本仏教とチベット仏教 | コメント(0) | トラックバック(0)
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