▶ admin  

「近代の知」と「仏教の知」―何が見失われたのか―

2012/12/25
「近代の知」と「仏教の知」――何が見失われたのか――

 「輪廻は迷信であって仏教本来の考えではない」、「大乗仏教は後代になって作られたもので釈尊の教えとは異なる」。こういった考えは、今日の日本で広く受け入れられている。しかしこれは明治になってからの近代仏教学の説で、伝統的な考えとは異なる。近代仏教学の形成に大きな役割を果たした倫理学者・思想史研究者の和辻哲郎(1889~1960)は『原始仏教の実践哲学』で、仏教の輪廻説と無我説について、輪廻するのであれば輪廻する主体である我を認める必要があり、無我の考えとは矛盾する。伝統的理解ではそれを同じ釈尊の教えとしているために説明に無理が生じたとして、輪廻の考えを仏教から排除し、輪廻の苦の中に生まれるプロセスとして理解されていた十二支縁起を、論理的な相関相依関係として解釈している。

原始仏教の実践哲学 (1970年)原始仏教の実践哲学 (1970年)
(1970)
和辻 哲郎

商品詳細を見る

 岩波書店から刊行された第三次和辻哲郎全集では、単行本未収録論文や講義ノート、講演資料の類が大幅に収録され、和辻がそのような解釈に至った過程を知ることができるようになった。講義ノートからは、和辻が近世の排仏論(地獄や輪廻の考え、須弥山中心の世界観は迷信であり、膨大な大蔵経の大半は後代の産物で釈尊の直説ではない、等)の主張をすべて受け入れ、それらを除いた上で「仏教哲学」を確立すべきことを考えていたことがわかる(全集別巻2)。和辻はそれを「教会よりの解放」(全集19巻)と呼び、西洋でキリスト教の伝統の中から近代哲学が生まれたことに重ね合わせている。その研究は西洋的な文献学の手法に基づくもので、おそらくはヘーゲル『哲学史』の影響下に、仏教の様々な教えを思想史的展開として説明づけている。

哲学史序論―哲学と哲学史 (岩波文庫 青 629-8)哲学史序論―哲学と哲学史 (岩波文庫 青 629-8)
(1967/05/16)
ヘーゲル

商品詳細を見る

 これは伝統的な仏教理解とは大きく異なる。伝統的には釈尊は特定の主張を持たず、その教えは相手に合わせた対機説法とされ、矛盾する教えの存在は、説かれた相手の能力の違いによるものとして説明されてきた。そのような、中国日本やチベットの伝統は、インドのナーガールジュナ(龍樹)の仏教理解に由来する。近代的解釈では、ナーガールジュナの『中論』は空の思想を説いたものと考えられているが、南インドの王に仏教の実践を説いた『宝行王正論』『勧誡王頌』や、部派の仏教理解を批判した『六十頌如理論』等を見ると、ナーガールジュナが経典に録された釈尊の言葉をどのように理解し位置づけたかがわかる。釈尊は、まず輪廻の考えに基づく施・戒・生天の教えを説き、それが理解できた者には輪廻からの解脱を勧め、最後に四諦 八正道を説いたとされている(次第説法)。ナーガールジュナはそれを踏まえ、苦諦と集諦の瞑想としての十二支縁起の順観と、滅諦と道諦の瞑想としての十二支縁起の逆観によって得られた、無も成り立たず有も成り立たないことを理解した境地こそが、釈尊自身の境地で、阿含経典では断片的に説かれるのみのその境地を主題的に展開した教えが、当時も仏説と認めるかどうかが議論になっていた大乗経典だと位置づけたのである。

龍樹 (講談社学術文庫)龍樹 (講談社学術文庫)
(2002/06/10)
中村 元

商品詳細を見る

 近代的仏教理解で輪廻が釈尊の考えではないことを示す根拠としてよく挙げられる、死後の生などについて尋ねられて答えなかったという十四無記も、ナーガールジュナはブッダガヤでの成道時の沈黙と結びつけ、有でもなく無でもないという境地は普通の人には理解しがたいため、説かなかったのだと説明づけている(『宝行王正論』)。

大乗仏典〈14〉龍樹論集 (中公文庫)大乗仏典〈14〉龍樹論集 (中公文庫)
(2004/10/25)
不明

商品詳細を見る

 このような理解は、近代的な知性からは無理なこじつけに見えるのかもしれないが、仏教の教えの特徴(法印)とされる「一切皆苦」ひとつをとってみても、私たちの日常意識とは一致しない。苦しいこともあれば楽しいこともあるというのが、私たちの普通の感覚である。それは感覚が捉えた対象をリアルに感じて、嫌な対象を除き、欲しい対象を得たい、そうすれば苦しみをなくし幸せを得ることができると間違って思い込んでいるためで、そういう者には殺人や盗みなどのよくない手段で得られるのは苦しみでしかないことを説く。仮に一時的な楽が得られてもそれが持続せず苦に変わることが理解できる者には、そのような行為の連鎖から抜け出すことを勧める。さらにそれらの苦の根本原因である対象の実体視をなくすために、外を捉える感覚の働きを一時的に停止させた上で(止)、熟睡にたとえられるその状態ですらも働いている実体視という根源的な無知を晴らす(観)というのが、他の宗教にはない仏教独特の実践なのである。

 近年、欧米では仏教への関心が高まっている。それは仏教が単に救いを祈るのではなく、心を変えることによって実際に苦しみを減らすことのできる方法を持つからで、関心が集まっているのがチベット仏教や禅やテーラワーダの念処であるのは、そのためである。

 チベット仏教のダライ・ラマ法王は日本人に対し、「日本には仏教の伝統があり、『中論』などもすでに訳されているのだから、それを学ぶのがよい。ただ、その意味についてはチベットのラマが手助けできることもあるだろう」とアドバイスしている。チベットの僧院教育は倶舎唯識中観・論理学(因明)等を学ぶもので、中国軍の進出によって高僧の多くチベットから亡命した後、同じ仏教国ということで、何人かの学徳を備えた僧が日本の仏教系大学や研究機関に派遣された。しかし文献学が主流の近代仏教学において彼らが求められたのは、チベット語経典の整理係やそれを読むためのチベット語教師としての役割で、仏教を伝えることでも日本人の弟子を育てることでもなかったと聞く。

 和辻哲郎は『正法眼蔵』を論じた論文「沙門道元」で、入門して実践するという伝統的な形態を否定し、読むことで道元の思想を理解できるとして、「それによって道元は、一宗の道元ではなくして人類の道元になる。宗祖道元ではなくして我々の道元になる」と宣言した。しかしこの「教会よりの解放」の試みが、仏教の知の異質な知への読み換えであり、苦しみからの解放の道を見失わせるものだったことを忘れてはならない。

日本精神史研究 (岩波文庫)日本精神史研究 (岩波文庫)
(1992/11/16)
和辻 哲郎

商品詳細を見る

 仏教の核心が日常感覚に反し、極めて理解しにくいものだからこそ、すでに理解を得ている師の指導を受け、修行によって感覚の捉え方を変え、理解を得てさらに次の世代に伝えるという形式を、仏教は必要としている。その継承が失われた時代を古人は「末法の世」と呼んだ。現代社会で寺院や僧侶が果たすべき役割について様々な議論があるが、近代的仏教理解で何が見失われたのか、問い直すべき時期が来ているのではないだろうか。

吉村均  『中外日報』2009年10月22日掲載
09:00 日本仏教とチベット仏教 | コメント(0) | トラックバック(0)

ダライ・ラマ『宗教を超えて』

2012/12/15
ダライ・ラマ宗教を超えてダライ・ラマ宗教を超えて
(2012/10/12)
ダライ・ラマ14世

商品詳細を見る

"ダライ・ラマ法王が最近の来日講演で話されることの多いsecular ethics(世俗倫理)についての集大成的な本。前半では世俗倫理が宗教を否定するものではなく、無宗教を含めた諸宗教の共存を可能にする倫理であることが、科学的調査などを踏まえて述べられている。
後半ではその鍵となる慈悲の心をいかに育てるかを、チベットに伝わる心の訓練法(ロジョン)の伝統と自己の修行経験から具体的・実践的に述べる。"
09:00 一般書 | コメント(0) | トラックバック(0)

論文「チベットに伝わる心の訓練法(ロジョン)と現代」の紹介

2012/12/05
吉村均先生の論文、「チベットに伝わる心の訓練法(ロジョン)と現代」の紹介です。

 欧米では、日本でヨーガが健康法や美容法として実践されているように、心のケアの方法として仏教の瞑想が関心をもたれ、日々の生活に取り入れられています。欧米で特に関心の高い実践法のひとつが、チベットに伝わる「心の訓練法」lojongです。
 論文では、代表的なテキストや歴史について簡単に紹介したうえで、裏づけとなる考えをインドの『中論』や『入菩薩行論』といった論書に探り、あわせてダライ・ラマ法王が継続的に科学者とおこなっている仏教と科学の対話(心と生命会議)の成果から、仏教の瞑想法の有効性についての現代科学の立場からの検証や、現代社会において実践する際の注意点について紹介しています。
 「心の訓練法」は、一言でいえば、トラブル時に折れてしまわないようなしなやかな心を作る方法で、緊急時に即効性があるかどうかはともかく、普段からすこしずつおこなっていれば、個人差はあるでしょうが、私の知っている範囲でも、数ヶ月、数年続けていると、かなりはっきりした効果がでています。
 本来は仏教の修行法ですが、論文では、欧米で紹介されている、非-仏教徒でも実践できるやり方を紹介しています。
 特に、看護や教育、将来育児に携わることになる人たち、他への奉仕でストレスを感じがちな立場の方には、知っておいてもらいたい実践法です。

→論文「チベットに伝わる心の訓練法(ロジョン)と現代」
(明治学院大学教養教育センター紀要『カルチュール』5巻1号掲載。明治学院大学機関リポジトリで公開)
09:00 心の訓練法 | コメント(0) | トラックバック(0)
 | HOME |